夜明けまえ、彼は目を覚ました。すると暗闇のなか、じつは妻は起きていて、一晩じゅう彼を睨みつけていたのではないかという思いに囚われた。ほんの数分のあいだにもその思いはだんだんと強くなって、抜け出すことが困難なほどに膨れ上がり、仰向けに上を向いたまま彼の首は固まって動かなくなってしまった。
ある男の、青年期の終わりに結婚してから、壮年期の半ばに至るまでの人生のお話。
男の人生は、家族とか妻とか子供とかに密接に絡まっていて、男もそれは自認して依存しているのに、一方では不思議なぐらいそれらの存在が希薄な感じに思える。
その代わり、一見どうでもいいような些細な出来事はやけに記憶の中の位置を占めていて、壮年に至った現在考えてみると、そういうものがつなぎ合わさって今の自分につながっているというという感覚。このあたり、主人公の男が回想をはじめるくらいの年齢にいる自分にとっても共有できるところがあって、リアルだ。
自分の人生って何? 10代とか20代ほど楽観的でもなく、4、50代くらい以降の確固たるものの見方も定まっていない微妙なお年頃特有の悩みというものがある。悩みつつ、日々をこなしているうちに、いつの間にか年をとっていくものだけど。 そのあたり、結婚して、子供ができるとまた思うところがあるのだろう。
おなじ号の文芸春秋に載っていたインタビューで、人生における経過した時間の重みに云々話されているのだけど、時間の経過だけでなく、話の中では家を建てることが象徴的な意味も含めて結構重要な位置を占めてるように思う。
結局、この男は、妻とこれから死に至るまでのそう長くない時間を過ごすことになる終の住処が目の前にあることを知るのだけど、それはやっぱり幸せなことなのだ。娘がいつの間にか留学に行ったことも知らなかったり、この十何年かの家庭の思い出がほとんどなくても。男の人生ってそういうものなの・・・かな!? ちょっと後ろ向きな気もするけど。
(文藝春秋2009年9月号、第141回芥川賞受賞)