10年目の別れ(ただし請求書と)

部屋が片付いていそうだね、と言われることがある。それも、部屋にテーブルとテレビしかないとか、そんなふうにあまり物を持たない人だと思われている節がある。

しかし、実際は逆で、なかなか物が捨てられないのだ。捨てずに物をため続けて、ある時、ついに思い至って一気に処分したりする。

そして処分するときに、その物とともに過ごした時間について改めて考えて、一抹のセンチメンタルな感情に襲われる。この感情は、なかなか他人に(特に女性には全く)理解されない。

今日、10年分の電話だとか、電気だとか、ガスだとか、水道だとか、その他もろもろありとあらゆる請求書の束をシュレッダーで処分した。

僕が一人暮らしを始めて10年あまりになるが、その間の公共料金ほか、毎月届く請求書をすべて僕は保管していた。保管することで、家計簿をグラフ化するとか、電話会社の会社名が変わったりするのを見たり、請求書のデザインの変遷を調べたりだとか、いろいろマニアックな楽しみ方はあると思うのだが、僕の場合は、ただ捨てずに保管していただけだった。

↓マニアックな楽しみ方の例:NTT再編(1999-07-01)前後の請求書

何年か前にこの請求書の束をみて、さすがにもう燃えるごみ(当時。現在住地なら第1・3水曜の古紙回収)には捨てられないなと悟った。捨てられないことはないが、まかり間違って人の目につくところにぶちまけられることになったらちょっと恥ずかしい。

ヤフオクにて2,800円で落札した個人用シュレッダーは、製造元のホームページを見ると2世代前の製品で、かなり大きな音をたてるものだった。

請求書を一枚一枚シュレッダーに差し込んで、ああ当時はツーカーなんて携帯電話の会社があったなあ(昔の携帯電話の請求書の明細は驚くほどシンプルだった)とか、このころはよく支払いが滞って利息を取られていたなあとか、@Freedなんてサービスもあったなあとか考えながら、だいたい3秒に1枚のペースで請求書を3×20ミリの紙片に破壊していった。

そして最後に、大学に入学した年の4月の電話代の請求書(回線使用料や通話料のほかに工事料2,000円が記載されている)を投入口に差し込んで、僕の請求書の束は、においも色も思い出も何もない、そこに10年間のどんな出来事も見いだせない、25リットルのポリ袋いっぱいの紙の破片になった。

↓おおよそ1.5kgの紙片

さあ、次は服だ!

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