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ParallelsのバックアップCD買った

先日Parallels Desktop 3.0 for Mac買いました。

で、今日そのときソフトと一緒に買ったバックアップCDが届いた。そんだらば、思いっきり普通のCD-Rでがっかり。見慣れたシアニンの青緑のディスク。中身も普通にダウンロードできるインストーラしか入ってないし。大変がっかり。
何か特別なパッケージになってるのかなと思ってたんだけどね。だって、買うときの画面に立派な箱のイメージが載ってたもん。14.95ドル。高いCD-Rだ。
ちなみにソフト本体(79.99ドル)は大変満足。うちのMac mini(Intel Core Duo 1.83GHz、メモリ2GB)で、VistaのアルティメットやらOffice 2008やらが、まあそこそこ快適に動いてました(ただしデスクトップテーマはクラシックにしてる)。Visual Studioも使えるだろうか。
快適に動かすためにハード増強したくなるソフトは久しぶりかも。次はiMac買おうかな。

愛情の断絶

人は、自分が最も親を恋しがり、親に手をかけられ、親から愛されたときの自分を、覚えてはいない。
(中略)
一方、子どもが最も親を懐かしみ、恋しく思うのは、親の死後かもしれない。その姿を、当の親は見ることがない。だから、親子は宿命的に、その「愛情の記憶」において、断絶を抱えているのだろう。

「親の記憶、子の記憶」(水無田気流)日本経済新聞2008年10月26日

ピカソ展

10月25日(土)に、東京の国立新美術館サントリー美術館で共同開催されているピカソ展に行ってきました。

特に思い入れがあるわけではないのですが、日本においては過去最大規模の展示があり、また東京の神保町で好きな版画家の早川純子さんの個展があり、この機会にピカソ見てくるか、となった次第。
今回の展示が過去日本における最大級になった経緯は色々なところに書いてありますが、所蔵しているパリの国立美術館が大改修を行うため可能になったそうです。
ちなみにそのパリの美術館がピカソ作品を大量に所蔵している経緯もおもしろくて、ピカソが亡くなった時、相続税の代物弁済としてフランス国家に作品が納められて、コレクションの基礎になったということです。今回の展示の説明をしているラベルに「1973年 パブロ・ピカソ 代物弁済」のようなことが書かれていました。なぜ相続人でなく被相続人のピカソの名前が書いてあるのかわかりませんが。
国立新美術館のほうの展示に先に行きましたが、人がいっぱいでした。ちょっと作品の近くに寄るのも大変で、ピカソの人気を伺えました。サントリー美術館のほうは、割と空いていて、じっくり鑑賞できました。
青の時代への転機となったという作品がサントリー美術館にありましたが、最も印象に残りました。大きく色とりどりの光を放つロウソクの炎と、それに照らされる亡くなった友人の横顔。その横顔は、もう戻りようのない死という事実、様々な人間らしい喜びや悲しみといった感情を全て引きずり込んで、ぎゅっと小さく頑にしてしまったような色、それはまさしく青の時代の青でした。(ArtQuotes.net:この画像はちょっと緑色が出過ぎている気がするような)
今回多くの作品をみる機会があり、ピカソの評価に考えるところがありました。個人的にはキュビズムのような描き方はしてみようと思ったことがないので、理解できませんでしたが、ピカソの評価は、ある特定の作品によるものではなく、その生涯を通じて、どのような形、線、色、表現であっても疎かにしない追求をしたことが、現在の評価につながっているのではないかと思います。他の芸術家が生涯どんな色を使い、どんな形で表現してきたのか、私には知識がありませんが、少なくともピカソは万事において適当に作品を作ったのではなく、亡くなるまでストイックに表現方法を探求していったのではないかという気がしました。
亡くなる前年の自画像の目は、虚ろなようで、あるいは何もかもを見ているようで、焦点がわかりません。それまでの表現活動と、迫る自分の寿命をどう考えていたのか。でも、幸せだったんだろうと思う。口元笑っているし。

4:世界の終わり(図書館)

「自分がどうしてここに来たのかも、僕にはよくわからない」と僕は言った。
じっと天井を見ていると、そこから振りかかってくる黄色い電灯の光の粒子が膨らんだり縮んだりしているように見えた。恐らく僕の傷つけられた瞳のせいだろう。僕の目は何かとくべつなものを見るために、門番の手によって作りかえられてしまったのだ。壁にかかった古い大きな柱時計がゆっくりと無言のうちに時を刻んでいた。

【概要】

街についた最初の日、僕は門番から、図書館に行き古い夢を読むように言われた。「門番がこの街に一人しかいないように、夢読みも一人しかいない。なぜなら夢読みには夢読みの資格が要るからだ。俺は今からその資格をあんたに与えねばならん」。門番はそう言うと、ナイフで僕の両目に夢読みのしるしをつけた。
その何日かあとの夕方、僕は図書館をたずねた。図書館には古い夢の番と、夢読みの手伝いを仕事としている女の子がいた。彼女の顔は、僕の心の中で何かと強く結びついているように思ったが、思い出すことはできなかった。

【感想】

なぜこの街に来たのかわからないとか、どこか現実離れした世界の記述をみると、夢の中の世界のようだ。まあ実際、「夢」を読むなんて言っているけど。
「ハードボイルド」のほうの世界は、ものがあって、その上に意味があって、確固たる世界のありようが形作られていたのに対して、「世界の終わり」の方の世界は、意味を残したまま、ものの形を取り外してしまったかのような、ぼんやりした感じ、何かが漠然と欠けているような不安定感がある。
この本を薦めてくれた人が、物語に図書館が出てくるよーと言っていたのだけど、「夢」を所蔵する図書館とは?「世界の終わり」で図書館は何をしてるの?と気になるところではある。

03:ハードボイルド・ワンダーランド(雨合羽、やみくろ、洗い出し)

「この程度のものなら洗い出しで十分でしょう」と私は言った。「この程度の頻度類似性なら仮説ブリッジをかけられる心配はありません。もちろん理論的には可能ですが、その仮説ブリッジの正当性を証明することはできませんし、証明できなければ誤差という尻尾を振りきることはできません。それはコンパスなしで砂漠を横断するようなものです。モーゼはやりましたがね」

【概要】
広い部屋に通された私は、女に言われるままにゴム引きの雨合羽と長靴を身につけ、洋服ダンスの中にあった梯子を下って、ひとり真っ暗な空間を川に沿って歩いていった。しばらく行くと、老人が迎えに現れた。
老人は、滝の中の洞窟の奥にある研究所で、頭骨から発せられる音の研究をしているという。その音をコントロールすることにより、人の発声や聴覚から、音を増やしたり抜いたりできるらしい。トリプル・スケールの料金を約束した老人の依頼に従って、「計算士」の私は、実験計測数値の洗い出しを始めた。
【感想】
「洗い出し」って何?暗号化みたいなこと?仮説ブリッジ?シャフリング?
と、急にいろんな世界が見え始めた。「洗い出し」って人間の脳の中のパターンで数値を暗号化することのようだ。
 あと、老人が研究しているという「音を抜く」技術。「音と反音の音を共鳴させる」ことによって、音を小さくするというので、ノイズキャンセラ機能のついたイアフォンを思い出すけど、老人の研究内容では、特定の音の逆位相の音を出力するというわけではないらしい。

02:世界の終り(金色の獣)

角笛の音が街にひびきわたるとき、獣たちは太古の記憶に向かってその首をあげる。千頭を越える数の獣たちが一斉に、全く同じ姿勢をとって角笛の音のする方向に首をあげるのだ。あるものは大儀そうに金雀児の葉を噛んでいたのをやめ、あるものは丸石敷きの舗道に座り込んだままひづめでこつこつと地面を叩くのを止め、またあるものは最後の日だまりの中の午睡から醒め、それぞれに空中に首をのばす。

【概要】
秋がくると、その静かな獣たちの体毛は金色に抜けかわった。僕は、夕方になると西の壁の望楼にのぼり、門番が角笛を吹いて獣たちを門の外に誘導するのを見たものだった。
【感想】
 この本は、独立した二つの話が同時に並行して語られる内容のようだ。とすると、その二つの話がどういう関係にあるのかが気になってくる。
 最近読んだ、梨木香歩のぬかみそからカサンドラが出てくるやつ(タイトル失念)とか、小川洋子の「密やかな結晶」とかは、本編の中に、本編と微妙に関係する話が入れ子になっていて、うまく話に奥行きというか深みが出てたような気がする。この本の場合、それぞれの話が独立して、読み手に行ったり来たりさせるので、手塚治虫の「火の鳥:太陽編」なんかが近いのかなあ。
 でも、それぞれ最初の話を読んだだけだけど、なんだか全然二つの話に接点がなさそう。これは読み進めると予想だにしない関連性が現れるのだろうか。それとも類似性のあるシチュエーション、テーマなんかを匂わせて、そこに何か意味を持たせようとするのだろうか。あるいは全然、最後まで関係ないとか!?
 それでも、「ハードボイルド…」が物質的で、状況を小難しく概念的に説明するのに対して、「世界の終わり」が叙情的で、どこか空想の世界ぽい神秘性を持ってるように、明らかに対照的に書かれているので、逆に何か関係あるんだろうな、と思ってしまう。

Office 2008 for macがVBAをサポートしてない件

ありえん。

互換性云々どころか、マクロ使ってるファイル100%動かないってことじゃん。

Why remove VBA for Office 2008? While Office 2008 was built to be a universal application because Apple moved to Intel processors, the Macintosh VBA compiler was originally designed for a much earlier PowerPC-based Macintosh and will not work, without significant modifications, on the Intel-based Macintosh. VBA macro code is compiled at runtime, and the compiler code, VB editor code, and VB forms code could not be converted for the Intel-based Macintosh without extensive programming work that would have significantly delayed the universal version of Office 2008.

(microsoft.com)

なぜVBAのサポート外したかというと、VBAのコンパイラは、昔のPowerPCベースのmac向けに作ってあって、Intelベースではそのままでは動かないんだと。修正しだしたらOffice 2008のリリースまで遅れるからサポート止めたらしい。

別にいいけどさ、買う前に分かるように、どこかに書いておいてくれ。

で、VBA使いたいならOffice 2004使えとか、マクロはApple Scriptで作り直せとか言っておきながら、次期バージョンではVBAのサポート再開するとのこと。

Windows以外で、プロプライエタリなソフト使ってると、こういうことがありうるんだなあと思った次第。

まあ、いい機会なのでApple Scriptも勉強してみることにする。

01:ハードボイルド・ワンダーランド(エレベーター、無音、肥満)

私が言いたいのは特殊な現実の中にあっては?というのはもちろんこの馬鹿げたつるつるのエレベーターのことだ?非特殊性は逆説的特殊性として便宜的に排除されてしかるべきではないか、ということである。機械の手入れを怠ったり来訪者をエレベーターに乗せたきりあとの操作を忘れてしまうような不注意な人間がこれほど手の込んだエキセントリックなエレベーターを作ったりするものなのだろうか?
 答えはもちろんノオだった。

【概要】

ボタンもなく、だだ広い、上がっているのか下がっているのかも分からないエレベータの止まる気配がない。暇つぶしに数えたポケットの小銭の計算を3年ぶりに間違えて、私は神経質になっていた。
エレベータの扉が開くと、そこには太った、しかし若くて美しい女がいた。女は、「こちらへどうぞ」と言ったが音声は聞こえなかった。長い廊下を歩き、ひとつの扉にたどり着くと、女は扉を開け、「そむと、せら」とその口が動いた。私は頷いて部屋に入った。
【感想】

村上春樹を初めて読んでみるということで、友人に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を薦められました。毎日少しずつ読んでいく予定です。
なんだか、言葉を尽くして、状況や「私」の感情をきっちりと伝えている感じのある文章。エレベータの中で神経質になったり、若い女に対する肉欲の具合が、とても鮮明に読み取られる気がします。

【固有名詞】

ダニー・ボーイ…アイルランドの民謡。(youtube.com)
ワーロック…1959のアメリカ映画。西部劇。
ヘンリー・フォンダ…20cのアメリカの俳優。「12人の怒れる男」にも出演しているそうだ。全然覚えていない。(ja.wikipedia.org)
マルセル・プルースト…19c〜20cのフランスの哲学者。(ja.wikipedia.org)