Category Archives: レビュー

【本】ホテル・アイリス(小川洋子;学習研究社;1996)

私に触れる肉体は唇としたと指だけだった。でもそれで十分だった。
どんな部分も彼はおろそかにしなかった。私は自分に肩甲骨や、こめかみや、くるぶしや、耳たぶや、肛門があることをはじめて感じた。彼はそこを丹念に愛撫し、唾液で湿らせ、唇で味わった。

読んだ直後は、無垢な少女がエロじじいにあれやこれやされるのが、(たぶん自分が若いからだろう)許せない、感情的なバイアスがかかって、感想も何もなかった。さっさと寝た。

一晩経って落ち着いてみると、明確なテーマが見えてきた。自由と束縛と、夏の物語。人生は、ある束縛から自由になるため、他の束縛を求めるようなもの。求める気持ちは夏の日差しのように強烈。しかし夏はいつのまにか終わってしまって、終わってしまった後は夏を誰も思い出せない。
この物語は、それをときにはちょっと過激に、紐とか、F島とか、ホテル・アイリスとか、母が結う自分の髪とか、そんな形で表現している。実際のところ、直接的身体的な、そんな過激な表現はあまり多くなかった。
決して自由にならない大きな存在の環境と主人公という見方をすれば、「沈黙博物館」とか「密やかな結晶」でも同じように思える。小川洋子自身がそんな構図を好きなのかもしれない。まあ、僕も好きなのだけど。
そういえば、日本の映画で「完全なる飼育」というのがあって、竹中直人と女子高生くらいの役の少女が主役で、見たことはないのだけれども、その映画も何となくエロだと思って疑わなかったけど、案外この話と同じテーマなのかもしれない。今度ディスカスで借りてみよう。

「世界の終わり〜」と「密やかな結晶」


「とくべつ?」
「ええ、何かとても奇妙なアクセントで、言葉をのばしたり縮めたりするの。まるで風が吹いているような具合に高くなったり低くなったりして……」
 僕は彼女の手の中の頭骨を見ながら、ぼんやりした記憶の中をもう一度まさぐってみた。今回は何かが僕の心を打った。
「唄だ」と僕は言った。
(村上春樹;世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド)
二つの物語が交錯するつくりは、最初、小川洋子の「密やかな結晶」ぽいなと思っていたのだけど、なんだか本当にそれっぽくなってきた。
このくだりで、この世界には「唄」が失われているということがわかるけど、それは「密やかな〜」で記憶の消滅が進むのに似ているし、その影響を受けていないのが母親というのも同じ。
なにより物語を覆っている、なんとも言えない虚脱感、何か見えない大きな力に対する人間の無力感、気だるさ、が大きく共通するように思える。
そこに追い討ちをかけるように、このあと、タイプライターとか出てくる始末。もう、主人公ともう一人の異性の、くっつかず離れずな関係もそのまんま、なぞらえたもののように思えてしまう。
どちらも早大文学部で、小川洋子の年代的に、影響受けているとしても考えられなくはないか。

【本】13階段(高野和明著;講談社;2001)

人間誰しも我が身がかわいい。それが行き過ぎて他人を殺してしまう人もいる。この話は、人が人を殺すという状況に、不幸にもとらわれてしまった何組かの親と子のつながりのお話。
弟が薦めてきた本。一気に読めるエンターテイメントとのことなので、夏頃からだらだら読んでいてちょっと飽き気味の村上春樹の「世界の終わりと(略)」は、とりあえず脇において、図書館で借りてきた。
2001年と、ちょっと前の本で、江戸川乱歩賞受賞、反町隆史主演で映画化もされている。知らないと言ったら弟にモグリ呼ばわりされたので、その頃かなり話題になっていたのかも知れない。
というわけで、一気読みしてしまった。
傷害致死で2年服役して仮出獄した青年が、刑務官に誘われて、とある死刑囚の冤罪を晴らすため、10年前の事件について二人だけの捜査をしていくという筋書きになっている。謎解きあり、刑事行政の内側の話あり、確かにエンターテイメントだ。
その分、特に終盤は怪しい人が目まぐるしく入れ替わり、主人公の隠していた苦悩とかジレンマが、そっちのけのまま話が進んでいってる気もする。中盤なんかは、刑務官の経歴が語られて、刑罰についての自分なりの理想と、それに反する現実の間に苦しむ様子が描かれて、まさに話の渦中にいるという感じがするんだけどね。
先日初めての裁判員候補者への通知が行われたとのこと。この小説にあるように、刑罰を決めるのも、執行するのも人間。結局人間が人間を殺すということにいささかの間違いはない。判決に文句を言いつつも本音では結局はお上に任せておきたい多くの人たちが、この死刑を含む刑罰に向き合うことになる。
きっとこの話の中で語られているようなことを感じることになるんだろうなあと思う。仕事で辞退できるかーとか、そんな話題にしかなっていない気がするけど、乾いた日本人には、きっと人間について発見することがあるのではなかろうか。それは悪いことではないと思う。

4:世界の終わり(図書館)

「自分がどうしてここに来たのかも、僕にはよくわからない」と僕は言った。
じっと天井を見ていると、そこから振りかかってくる黄色い電灯の光の粒子が膨らんだり縮んだりしているように見えた。恐らく僕の傷つけられた瞳のせいだろう。僕の目は何かとくべつなものを見るために、門番の手によって作りかえられてしまったのだ。壁にかかった古い大きな柱時計がゆっくりと無言のうちに時を刻んでいた。

【概要】

街についた最初の日、僕は門番から、図書館に行き古い夢を読むように言われた。「門番がこの街に一人しかいないように、夢読みも一人しかいない。なぜなら夢読みには夢読みの資格が要るからだ。俺は今からその資格をあんたに与えねばならん」。門番はそう言うと、ナイフで僕の両目に夢読みのしるしをつけた。
その何日かあとの夕方、僕は図書館をたずねた。図書館には古い夢の番と、夢読みの手伝いを仕事としている女の子がいた。彼女の顔は、僕の心の中で何かと強く結びついているように思ったが、思い出すことはできなかった。

【感想】

なぜこの街に来たのかわからないとか、どこか現実離れした世界の記述をみると、夢の中の世界のようだ。まあ実際、「夢」を読むなんて言っているけど。
「ハードボイルド」のほうの世界は、ものがあって、その上に意味があって、確固たる世界のありようが形作られていたのに対して、「世界の終わり」の方の世界は、意味を残したまま、ものの形を取り外してしまったかのような、ぼんやりした感じ、何かが漠然と欠けているような不安定感がある。
この本を薦めてくれた人が、物語に図書館が出てくるよーと言っていたのだけど、「夢」を所蔵する図書館とは?「世界の終わり」で図書館は何をしてるの?と気になるところではある。

03:ハードボイルド・ワンダーランド(雨合羽、やみくろ、洗い出し)

「この程度のものなら洗い出しで十分でしょう」と私は言った。「この程度の頻度類似性なら仮説ブリッジをかけられる心配はありません。もちろん理論的には可能ですが、その仮説ブリッジの正当性を証明することはできませんし、証明できなければ誤差という尻尾を振りきることはできません。それはコンパスなしで砂漠を横断するようなものです。モーゼはやりましたがね」

【概要】
広い部屋に通された私は、女に言われるままにゴム引きの雨合羽と長靴を身につけ、洋服ダンスの中にあった梯子を下って、ひとり真っ暗な空間を川に沿って歩いていった。しばらく行くと、老人が迎えに現れた。
老人は、滝の中の洞窟の奥にある研究所で、頭骨から発せられる音の研究をしているという。その音をコントロールすることにより、人の発声や聴覚から、音を増やしたり抜いたりできるらしい。トリプル・スケールの料金を約束した老人の依頼に従って、「計算士」の私は、実験計測数値の洗い出しを始めた。
【感想】
「洗い出し」って何?暗号化みたいなこと?仮説ブリッジ?シャフリング?
と、急にいろんな世界が見え始めた。「洗い出し」って人間の脳の中のパターンで数値を暗号化することのようだ。
 あと、老人が研究しているという「音を抜く」技術。「音と反音の音を共鳴させる」ことによって、音を小さくするというので、ノイズキャンセラ機能のついたイアフォンを思い出すけど、老人の研究内容では、特定の音の逆位相の音を出力するというわけではないらしい。

02:世界の終り(金色の獣)

角笛の音が街にひびきわたるとき、獣たちは太古の記憶に向かってその首をあげる。千頭を越える数の獣たちが一斉に、全く同じ姿勢をとって角笛の音のする方向に首をあげるのだ。あるものは大儀そうに金雀児の葉を噛んでいたのをやめ、あるものは丸石敷きの舗道に座り込んだままひづめでこつこつと地面を叩くのを止め、またあるものは最後の日だまりの中の午睡から醒め、それぞれに空中に首をのばす。

【概要】
秋がくると、その静かな獣たちの体毛は金色に抜けかわった。僕は、夕方になると西の壁の望楼にのぼり、門番が角笛を吹いて獣たちを門の外に誘導するのを見たものだった。
【感想】
 この本は、独立した二つの話が同時に並行して語られる内容のようだ。とすると、その二つの話がどういう関係にあるのかが気になってくる。
 最近読んだ、梨木香歩のぬかみそからカサンドラが出てくるやつ(タイトル失念)とか、小川洋子の「密やかな結晶」とかは、本編の中に、本編と微妙に関係する話が入れ子になっていて、うまく話に奥行きというか深みが出てたような気がする。この本の場合、それぞれの話が独立して、読み手に行ったり来たりさせるので、手塚治虫の「火の鳥:太陽編」なんかが近いのかなあ。
 でも、それぞれ最初の話を読んだだけだけど、なんだか全然二つの話に接点がなさそう。これは読み進めると予想だにしない関連性が現れるのだろうか。それとも類似性のあるシチュエーション、テーマなんかを匂わせて、そこに何か意味を持たせようとするのだろうか。あるいは全然、最後まで関係ないとか!?
 それでも、「ハードボイルド…」が物質的で、状況を小難しく概念的に説明するのに対して、「世界の終わり」が叙情的で、どこか空想の世界ぽい神秘性を持ってるように、明らかに対照的に書かれているので、逆に何か関係あるんだろうな、と思ってしまう。

01:ハードボイルド・ワンダーランド(エレベーター、無音、肥満)

私が言いたいのは特殊な現実の中にあっては?というのはもちろんこの馬鹿げたつるつるのエレベーターのことだ?非特殊性は逆説的特殊性として便宜的に排除されてしかるべきではないか、ということである。機械の手入れを怠ったり来訪者をエレベーターに乗せたきりあとの操作を忘れてしまうような不注意な人間がこれほど手の込んだエキセントリックなエレベーターを作ったりするものなのだろうか?
 答えはもちろんノオだった。

【概要】

ボタンもなく、だだ広い、上がっているのか下がっているのかも分からないエレベータの止まる気配がない。暇つぶしに数えたポケットの小銭の計算を3年ぶりに間違えて、私は神経質になっていた。
エレベータの扉が開くと、そこには太った、しかし若くて美しい女がいた。女は、「こちらへどうぞ」と言ったが音声は聞こえなかった。長い廊下を歩き、ひとつの扉にたどり着くと、女は扉を開け、「そむと、せら」とその口が動いた。私は頷いて部屋に入った。
【感想】

村上春樹を初めて読んでみるということで、友人に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を薦められました。毎日少しずつ読んでいく予定です。
なんだか、言葉を尽くして、状況や「私」の感情をきっちりと伝えている感じのある文章。エレベータの中で神経質になったり、若い女に対する肉欲の具合が、とても鮮明に読み取られる気がします。

【固有名詞】

ダニー・ボーイ…アイルランドの民謡。(youtube.com)
ワーロック…1959のアメリカ映画。西部劇。
ヘンリー・フォンダ…20cのアメリカの俳優。「12人の怒れる男」にも出演しているそうだ。全然覚えていない。(ja.wikipedia.org)
マルセル・プルースト…19c〜20cのフランスの哲学者。(ja.wikipedia.org)